ベタニアの家とロゼッタ姉妹会

1929年9月 最初に借りた丸山の家

1929年(昭和4年)丸山の借家でベタニアの事業への第一歩を踏み始めた日から、神父の長い苦難の生活が始まりました。計画はあっても無一文です。退所を余儀なくされる患者は増える一方でした。神父は資金集めに奔走します。
幾人かの仲間の宣教師がこの計画のために資金を提供しました。こうして翌年、ともかくも療養所の下の小川のほとりに、木造2階建てのホームを造ることがで きたのです。神父はこれを「ベタニアの家」と名付けました。「ベタニア」は、キリストの愛されたパレスチナの地名であり、「主の憐れみ」を意味します。

女子患者のために借りた家

1930年(昭和5年)神父は少しでも多くの患者たちに安住の地を与えるために、日夜奔走しました。喀血患者の血しぶきを浴びながら直接介抱にも当りました。

その間、毎週の療養所訪問は欠かさず、関口教会や教区の重責も果たしていきました。それは、ひとりの人間が負うには、あまりにも大きな負担でした。

1930年6月27日 ベタニアの家の祝別

 

1931 年(昭和6年)、神父の手助けを心から望み、奉仕に生きようとする若い女性たちによって、「ロゼッタ姉妹会」が生まれます。取り壊す寸前のボロ家を借りて 仮の修道院とし、労働と祈りをもって引き取り手のない重症の結核患者たちに奉仕して、困難な神父の事業の草創期を支えたこのロゼッタ姉妹会は、今日のベタ ニア修道女会の前身です。

「悩める人々に仕えよ」……これこそ神父の思想と行動の中心課題であり、共に働く人々に、神父が身をもって説いた教えでした。

聖ベルナデッタのように祈りながら、ほほえみながら……。

 

 

 

1937年(昭和12年)6月4日聖心の祝日、ローマの布教聖省の認可に基づき、東京教区長シャンボン大司教より教区立の修道会として正式に認可されました。修道会名は「ベタニア姉妹会」となり、その後、「ベタニア修道女会」と改称され、現在に至っています。

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