宣教師としての出発

日本に到着後1年間は宇都宮で、先輩神父のもとで日本語と日本事情を学び、水戸に赴任します。毎朝4時に起きて祈 り、北関東一円を町から町、村から村へと、福音を告げて歩きました。大正2年、東京へ転任を命じられ、関口教会の主任司祭に任じられます。31歳の時でした。

赴任当時の関口教会

現在の関口教会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関口時代の神父

 

関口教会の主任として赴任すると、教区の会計、青少年の教育・育成のためのマイカイ塾々長、神学校校長兼教授、東京教区の補佐司教など、次々と多くの責任ある仕事が任されて いきました。超人的なエネルギーを要求するこれらの仕事を果たすために、神父は食事や睡眠の時間をけずるほかありませんでした。昼食をぬき、その代わりに 1本のビールですませることもありました。ゼンソクなどの持病を 持った虚弱な体質であったにもかかわらず、自分が使命と感じたことには、身命をなげうって顧みることはありませんでした。

 

 

Comments are closed.