底辺からの出発

1927年(昭和2年)7月19日、41歳の神父は一人の入院患者を見舞うため、中野区江古田にあった東京市立結核療養所を訪問しました。よもやそれが、自分の後半生の歩みを決定づける瞬間になろうとは、夢にも思っていませんでした。

その後30年あまりにわたり、やむことのなかった病者訪問が始まります。当時死の病といわれ、強い感染力をもつ結核患者の顔に、近々と自分の顔を寄せ、相手の目を優しく見つめながら「具合はどうだね?」と一人ひとり見舞っていきます。1,200名の入院患者すべてにそうして歩くのは、並大抵のわざ ではありませんでした。

「キリストのこころ」を心として生きていた神父にとって他人の苦しみを見て通り過ぎるわけにはいきませんでした。

当時の東京市結核療養所(「中野療養所物語」より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1929 年(昭和4年)のある日、ひとりの患者が退所命令を受けて行き場のないことを神父に訴えてきました。当時の結核患者は、治っても治らなくても1年経つと、 病院を退所させられる決まりになっていました。退所しても家族はひきとらず、仕事にも就けません。生活のすべを見出せない患者の中には、退所を待たず、自 らの命を絶ってしまう人もいました。
個人的善意で立ち向かうには、問題はあまりに大きく、根は深すぎました。しかし、神父は、自分の目の前にうなだれて立っているひとりの人間を見殺しにすることができなかったのです。

こ うして一軒の家が、神父の努力によって借り入れられ、そこに数名の行き場のない患者が収容されることとなりました。 東京府豊多摩郡野方町丸山に設けられたこの仮の家こそ、神父がベタニアの事業に踏み切る第一歩となったものです。1929年(昭和4年)9月のことでし た。

 

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